川崎寬美 (4th Edition [January 1915] )
Rank/ Honors/ Grade | 從四位、勳四等 | |
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Title/ Family rank etc. | 男爵、舊鹿兒島藩士 | |
Occupation | ||
Gender | 男性 | |
Birthday | 文久三年八月八日 (1863) | |
Parent and relation | 川崎祐名の長男 | |
Family | 母 タネ 天保一四、八生、鹿兒島、士、坂元伊八長女 妻 フヂエ 明九、五生、東京、士、園田秀雄姉 男 寬名 明三二、四生 女 菊枝 明二九、九生 | |
Biography | 當家は先代故從三位勳一等男爵川崎祐名より家名を揚く祐名理財の道に長し明治戊辰の役より專ら職を軍務に奉し後陸軍會計監督長となり勳功を以て華族に列し男爵を授けられ明治三十九年薨す 君は其長男にして文久三年八月八日を以て鹿兒島に生れ明治三十九年一月家督を相續す同十四年外務省御用掛となり同十七年より二十五年に至る迄英國佛國兩公使館に在勤し後歸朝外務書記官に任し同二十九年山縣全權大使に随行を命せられ露國皇帝戴冠式に參列し歐米各國を歷訪し歸朝後記錄課長會計課長等に歷任す同三十年官を辭して日本銀行に入り國庫局長となり同三十二年臺灣銀行の創立に際し其理事に擧けらる同三十六年政府の命に依り京釜鐵道株式會社常務理事に轉し盡す所ありしか同三十九年同鐵道の國有となるに及ひ之を退き爾來金網工業に志し東京芝田町に川崎工場を起し金網製造機の專賣特許を始めとし經濟的耐火建築法として名を知られたる鐵網混凝工及治水工事用たる川崎式金網蛇籠等に關する有効なる實用新案權を得其他煉瓦積補強材たる山形金網鐵筋混凝土用たるクリンプ形金網等を創製發賣し又近時かはさき畫報を發刊し今日の發展を見るに至る曩に日清事件の功により勳六等に叙し日露事件の功を以て勳四等に昇叙せらる 妹まさ(明一四、一二生)は關東都督府民政長官白仁武に同ふみ(同一六、一生)は陸軍騎兵中佐大田黑龍亮に同こと(同二二、八生)は海軍中佐新納司に嫁せり | |
Address phone | 東京、芝、田町二ノ一八 電話芝一三六八、三三一四 | |
Relative | 白仁武 | |
Degree | 1 (except※1) | |
Pronounciation | かわさき ひろみ | |
Another name |