渡正元 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳二等 | |
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爵位・身分・家柄 | 錦鷄間祗候、舊廣島藩士 | |
職業 | 貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保十年正月二十三日 (1839) | |
親名・続柄 | 田中善平の三男 | |
家族 | 妻 セツ 安政二、八生、愛媛、士、松根懽六妹 男 干城 明一四、六生 婦 みつ 明二一、八生、二男干城妻、東京、平、淺田德則二女 男 久雄 明一八、一〇生 男 亮之介 明二〇、七生 男 左近 同二六、七生 | |
記述部分(略伝) | 君は廣島縣平民田中善平の三男にして天保十年正月二十三日を以て生れ元治元年絶家渡氏を再興す夙に佛國に留學し明治元年外國官事務所鑛山司等出仕仰付られ後陸軍少佐に任せられ兵學寮幼年學校次長參謀局諜報提理三等法制官太政官少記官同大書記官參事院議官補同議官恩給局主事元老院議官等に歷任し同二十三年貴族院議員に勅任せられ現時尚其職にあり同四十年九月日露事件の功に依り旭日重光章を授けらる 家族は前揭の外九男正監(明三〇、九生)孫秀子(大二、一〇生、二男干城二女)あり 長女アサ(明一二、九生)は東京府平民小林龜次郞に二女千代子(同二三、二生)は千葉縣平民小池重に嫁し七男藏人(同二五、六生)は東京の人眞野順戒の養子となり三男成規(同一五、一〇生)庶子男虎雄(同八、八生、生母、東京、平、朝比奈義郞長女ヨシ)は分家せり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、永田町一ノ一六 | |
参照人物(親類) | 淺田德則 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | わたり まさもと | |
別名 |