奥保鞏 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從二位、勳一等、功一級 | |
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爵位・身分・家柄 | 伯爵、舊小倉藩士 | |
職業 | 元帥、陸軍大將、議定官 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 弘化三年十一月十九日 (1847) | |
親名・続柄 | 奥利右衛門の長男 | |
家族 | 妻 茂 安政元、七生、福岡、士、原兵之亟長女 男 保夫 明一六、一二生、正五位勳六等、陸軍步兵中尉 婦 義子 明二二、五生、三男保夫妻、伯爵甘露寺義長長女 | |
記述部分(略伝) | 君は舊小倉藩士奥利右衛門の長男にして弘化三年十一月十九日を以て生れ同姓奥十郞の養子となり其後を繼く明治四年常備四番小隊長となり同年陸軍大尉心得を同五年大尉に任せられ後累進して同二十七年陸軍中將に同三十三年陸軍大將に陞任す同三十九年參謀總長に親補せられ現時元帥にして軍事參議官を經て議定官たり其間大阪鎭臺步兵第十聯隊長近衛第二聯隊長步兵第七旅團長近衛第一旅團長東宮武官長東宮太夫第五師團長近衛師團長等に歷補せらる日清役の際は第五師團長として出征し勳功あり功三級金鵄勳章勳二等旭日重光章を賜はり特に華族に列し男爵を授けらる日露戰役の際は第二軍司令官として偉勳を樹て其功勞の顯著なるは國民の普く知る所なり功に依り伯爵に陞爵せらる 家族は前記の外孫保城(明四一、一二生、三男保夫長男)同利子(同四五、二生、同長女)同保英(大二、九生、同三男)あり | |
住所・電話番号 | 東京、牛込、拂方町二六 電話番町七六〇 | |
参照人物(親類) | 伯爵甘露寺義長 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | おく やすかた | |
別名 |