太田信義 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 日本賣藥株式會社、應用製藥株式會社各取締役、日本醋酸製造株式會▲監査役、東京藥品粉末合資會社代表社員、藥種商 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治六年八月二十一日 (1873) | |
親名・続柄 | 太田信義の長男 | |
家族 | 母 トウ 安政六、二生、東京、平、吉田道伯長女 妻 セン 明一〇、一〇生、東京府人瀧口倉吉長女 弟 壽雄 明二三、五生 | |
記述部分(略伝) | 君は賣藥舗雪湖堂の主人にして先代太田信義の長男なり明治六年八月二十一日を以て生れ同三十年十二月家督を相續し舊名信を改む先代信義は下野國壬生藩士にして曾て藤田小四郞等と共に筑波山に籠り遂に縛に就き獄に下され明治四年赦されて仕官し權大屬に至る偶醫藥の靈劑を得官を辭して藥舗を開き胃散を發賣し其名世に喧傳せらる君其箕裘を嗣き經營以て今日の隆盛を見るに至れり現時前記諸會社の重役たり 妹ツヤ(明一七、八生)は栃木縣平民參木彦次四男錄郞に同フサ(同二一、五生)は山口縣士族坂田泰之助に嫁し弟五十八(同二七、一二生)は東京府平民吉田ヌイの養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京、日本橋、呉服町一一 電話長本局六六一・三五八七 | |
参照人物(親類) | 參木彦次 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | おおた のぶよし | |
別名 | 信 |