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參木彦次 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級
爵位・身分・家柄栃木縣平民
職業株式會社鹿沼銀行頭取、豊島特産株式會社、東京製綿株式會社各取締役、下野綿布株式會社監査役
性別男性
生年月日弘化四年十二月二十四日 (1848)
親名・続柄
家族妻 ヱイ 弘化四、一一生、栃木、平、黑川平八郞二女
男 俊太部 慶應二、一二生
婦 ウラ 明二、七生、長男俊太郞妻、栃木、平、登山愼作妹
男 晋七郞 明一六、七生
婦 マサ 明一九、一二生、五男晋七郞妻、栃木、平、大橋正松二女
孫 リン 明二七、九生、長男俊太郞三女
孫 タイ 明三〇、三生、長男俊太郞四女
記述部分(略伝)君は栃木縣平民參木俊太郞の父にして弘化四年十二月二十四日を以て生れ明治二十一年九月再相續す方今前記諸會社の重役として其名を知らる
家族は前記の外孫章(明三六、二生、長男俊太郞三男)同トミ(同三八、九生、同五女)同義雄(大元、九生、五男晋七郞長男)あり
二男常次郞(明二、七生)は栃木縣平民大貫信一郞の養子となり四男錄郞(同一一、五生)は其妻ツヤ(同一七、八生、東京府人太田信義妹)及其子女と共に分家し長女ミツ(同五、二生)は栃木縣人吉田源吉郞に二女フサ(同一〇、一生)は同縣平民大橋正松長男百作に孫シヅ(同二〇、一〇生、長男俊太郞長女)は同縣平民石川宗吉長男利左衛門に同アヤ(同二五、三生、同二女)は同縣平民湯澤義原二男三千男に嫁せり
住所・電話番号栃木、上都賀、南摩村
参照人物(親類)大橋正松太田信義
参照次数2 (※なし2)
読みみつぎ ひこじ
別名
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