大田原一清 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊野州大田原藩主 | |
職業 | 貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久元年十月八日 (1861) | |
親名・続柄 | 大田原富清の長男 | |
家族 | 男 鋭清 明一八、一一生、從五位 婦 ハナ 明二三、一〇生、長男鋭清妻、鹿兒島、士▲二階堂智行三女 男 秀 明二〇、八生 女 錫子 明三〇、一〇生 | |
記述部分(略伝) | 當家は宣化天皇の曾孫多治比古王の子左大臣島の後裔にして丹治恒房の末孫忠清の後なり後十三世を經て資清に至り姓を大田原と改む其孫晴清豐臣秀吉に仕へて野州大田原城主となり一萬二千石を領す夫れより八代を經て從五位下富清に至る 君は其長男にして文久元年十月八日を以て生れ後家督を相續す明治二年大田原藩知事に任し同十七年七月子爵を授けらる同二十七年貴族院議員に當選し引續き其職にあり日露事件の功により勳四等に叙し旭日小綬章を賜ふ 家族は尚四男鐵男(明三二、六生)三女淑子(同三四、五生)四女鏗子(同四〇、一生)あり 長女幸子(同二七、四生)は三重縣平民香川千巖弟翠巖に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、北豐島、巢鴨町巢鴨下新田 電話番町四七七〇 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | おおたわら かずきよ | |
別名 |