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太田原一清 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級正四位
爵位・身分・家柄子爵、舊野州太田原藩主
職業貴族院議員
性別男性
生年月日文久元年十月八日 (1861)
親名・続柄 太田原資清の長男
家族母 ゑい子 天保十一年十二月生
妻 茂登子 明治二年三月生子爵蒔田廣孝長女
男 鋭清 明治十八年十一月生
記述部分(略伝)當家は宣化天皇の曾孫多治比古王の子左大臣島の後裔にして丹治恒房の末孫忠清の後なり後忠明永忠長清吉清定清重清康清信康行定次清清光高清胤清を經て資清に至り姓を太田原と改む其孫晴清豐臣秀吉に仕へて野州太田原城主となり一萬二千石を領す夫れより純清以下八代を經て從五位下富清に至る
君は其長子にして文久元年十月八日を以て生る維新の際白河總督府より出兵を命ぜられ數度の勳功少なからず爲めに金五千圓を賜はる同二年三月表を奉て藩籍を奉還し同年六月大田原藩知事に任ぜらる同十七年七月子爵を授けられ同二十七年七月貴族院議員に當選す
家族は前記の外男秀(明治二十年八月生)女幸子(同二十七年四月生)同錫子(同三十年十月生)男鐵男(同三十二年六月生)女淑子(同三十四年五月生)等あり
弟誠之助(文久二年八月生)は明治卅一年十月分家せり
住所・電話番号東京市神田區五軒町一四
参照人物(親類)子爵蒔田廣孝
参照次数1
読みおおたはら かずきよ
別名