大鳥富士太郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳五等 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、東京府華族 | |
職業 | 外務書記官 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應元年十二月二十三日 (1866) | |
親名・続柄 | 大鳥圭介の長男 | |
家族 | 妻 ヨシ 明八、一一生、東京、士、齋藤良知長女 男 圭三 明三六、九生 妹 鴻 明二九、五生 | |
記述部分(略伝) | 當家は先代圭介より顯はる圭介夙に兵學を修めて其蘊奥を極め更に佛人に就き洋式訓練を受け鉛版を以て築城典型なる一書を刊行す是れ我邦活版書の濫觴とす戊辰の役榎本武揚と共に凾館五稜廓に依り驍名を馳す幾くもなく歸朝して獄に在る二年特典を以て赦され官途に就き元老院議官特命全權公使樞密顧問官等に歷任し明治三十五年華族に列し男爵を授けらる 君は其嫡男にして慶應元年十二月二十三日を以て生れ明治四十四年父の薨去に因り家督を相續し襲爵仰付らる先是同二十三年七月東京帝國大學法科大學を卒業して法學士の稱號を得同二十九年四月臺北縣書記官に任し爾來臺灣總督府民政局參事官兼臺北縣支廳長同總督祕書官等に歷任し同三十四年外交官及領事試驗に及第するや外交官となり韓國和蘭等の公使館に在勤し同四十二年十月總領事に進み浦鹽斯德に在りしか現時外務書記官として本省に出仕せり 家族は前記の外二女アヤ(明三四、五生)三男蘭三郞(同四一、一二生)四男豐彦(同四二、一〇生)三女ユリ(同四五、六生)妹玉枝(同三五、二生)あひり 姉な(文久元、五生)は東京府平民奥田象三に妹いな(明二一、八生)は男爵赤松則良二男喬二に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、麻布、三河臺町二五 電話芝二七六一 | |
参照人物(親類) | 男爵赤松則良、奥田象三 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | おおとり ふじたろう | |
別名 |