伊地知幸介 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位、勳二等、功二級 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、舊鹿兒島藩士 | |
職業 | 陸軍中將 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政元年一月六日 (1854) | |
親名・続柄 | 伊地知直右衞門の長男 | |
家族 | 母 スミ 天保四、六生、鹿兒島、士、小出泰純長女 妻 ミキ 明一四、三生、侯爵西鄕從德養妹、東京、士、高階經本二女 男 精 明四二、三生 女 花子 明二九、五生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊鹿兒島藩士伊地知直右衞門の長男にして安政元年一月六日を以て生る明治五年幼年學舍に入學し八年士官學校に進み同十二年陸軍少尉に任し十三年五月佛國留學を命せられ同十五年歸朝同十六年近衛步兵隊副官に補せらる同十七年陸軍卿大山巖の歐洲巡遊に隨行し砲兵大尉に進み獨國に留學す同二十年再び乃木川上兩將軍に隨行して歐洲を巡遊し同二十一年歸朝同二十二年少佐に進み同二十六年參謀本部第二局員となり日清戰役の際大本營參謀に補し中佐に進む次て第二軍參謀副長を命ぜられ金州旅順の役に參加し功に依り功四級金鵄勳章を賜はり日露戰役に第三軍參謀長旅順開城談判委員長旅順要塞司令長官として功あり功二級金鵄勳章を賜ひ男爵を授けらる同三十九年七月陸軍中將に進み東京要塞司令長官第十一師團長に歷補せられ大正二年一月豫備役に編入せらる 長女梅子(明二五、三生)は子爵小川武次に二女百合子(同二六、六生は東京府士族莊田平五郞長男逹彌に嫁せり | |
住所・電話番号 | 神奈川、鎌倉、鎌倉町長谷字原ノ臺一七四 | |
参照人物(親類) | 侯爵西鄕從德、子爵小川武次、莊田平五郞、高階經本 | |
参照次数 | 7 (※なし4) | |
読み | いじち こうすけ | |
別名 |