小川武次 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳五等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、東京府華族 | |
職業 | 陸軍步兵中尉近衛步▲第一聯隊▲隊▲官 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十七年一月二十六日 (1884) | |
親名・続柄 | 小川又次の二男 | |
家族 | 母 千代子 安政元、七生、長崎、平、田中芳太郞▲女 妻 梅子 明二五、三生、男爵伊地知幸介長女 弟 豐次 明一八、一生 弟妻 秀 明二五、四生、弟豐次妻、京都、士、服部直臣妹 弟 德次 明二〇、二生 弟 義次 明二六、三生 | |
記述部分(略伝) | 當家は故正三位勳一等功二級子爵▲軍大將小川又次の後なり又次は舊小倉藩士小川菊右衛門の長男にして幼時江戸に學ひ洋式兵學を修め業を卒へて歸藩す慶應二年高杉晋作長藩の兵を率て小倉を侵すや之と戰ふて功あり明治▲年大尉を以て▲灣征討の軍に從ひ同九年神風連の暴動に際し奮鬪頗る力む西南の役谷干城と共に熊本城を固守す平定の後少佐となり爾後累進して同二十三年大佐となる日清の役第一軍參謀長として從軍し偉勳を樹て功を以て勳二等功三級に叙せられ且つ華族に列して男爵を授けらる日露戰役に於ける君の勳績は普く人の知る所にして陸軍大將に進み同四十年九月功を以て功二級に叙し子爵を授けらる 君は其二男にして明治十七年一月二十六日を以て生れ同四十二年十月家督を相續し▲爵仰付らる現時陸軍武兵中尉に進み近衛步兵第一聯隊大隊副官たり 家族は前記の外長女能利子(大二、七生)姪▲佐子(大二、七生、弟豐次長女)あり | |
住所・電話番号 | 東京、豐多摩、大久保町東大久保二六二 | |
参照人物(親類) | 男爵伊地知幸介、※莊田平五郞 | |
参照次数 | 2 (※なし1) | |
読み | おがわ たけつぐ | |
別名 |