富田富太郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 京都府平民 | |
職業 | 八富、縮緬商 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治九年三月二十八日 (1876) | |
親名・続柄 | 富田祐壽の長男 | |
家族 | 父 祐壽 嘉永三、九生 妻 こう 明一四、一一生、京都、平、小澤惣兵衞二女 男 清太郞 明三二、一〇生 弟 常三郞 明二二、一一生 弟妻 富江 明二六、一一生、弟常三郞妻、京都、平、廣瀨友次郞三女 妹 たみ 明二八、八生 | |
記述部分(略伝) | 君は京都府平民富田祐壽の長男にして明治九年三月二十八日を以て生れ同二十二年九月先代勘兵衞の養子となり家督を相續し同四十年一月舊名富之助を今の名に改む縮緬卸賣を業とし八富と稱し直接國税八百二十餘圓を納む 家族は前記の外二男幸次郞(明三五、八生)長女てい(同三八、七生)四男慶三(同四五、五生)弟鐵三郞(同三一、一生)甥嘉一(同四五、五生、弟常三郞長男)あり 弟彌三郞(同一二、一生)は其妻はつ(同一四、二生、京都、平、河本庄兵衞姉)及其子を伴ひ分家し同嘉三郞(同二〇、三生)は京都府平民大川金七の養子となり妹チヱ(同一四、七生)は大阪府平民八代祐太郞に同キヌ(同一六、一一生)は同府平民竹尾治右衞門長男治太郞に同タマ(同二四、一一生)は京都府平民細辻伊兵衞長男伊太郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 京都、下京、室町蛸藥師南入 電話長中七一五 | |
参照人物(親類) | 竹尾治右衞門、八代祐太郞、河本庄兵衞、細辻伊兵衞、大川金七 | |
参照次数 | 5 (※なし5) | |
読み | とみた とみたろう | |
別名 | 富之助 |