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豐川良平 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級勳四等
爵位・身分・家柄東京府平民
職業濟生會理事、株式會社第百十銀行、日本窒素肥料株式會社、猪苗代水力電氣株式會社各取締役、三菱合資會社顧問、東京商業會議所特別議員
性別男性
生年月日嘉永五年一月十九日 (1852)
親名・続柄 小野篤治の長男
家族妻 屋壽 慶應二、一〇生、高知縣人馬塲辰猪姪
男 順彌 明一九、九生、高等工業學校卒業白楊社主
男 二郞 明二四、一二生
男 貞三郞 明二六、九生
男 良之助 明二八、四生
女 ちゑ 明一七、三生
女 三重 明三〇、三生
記述部分(略伝)君は高知縣人小野篤治の長男にして嘉永五年一月十九日を以て生れ後ち豐川順吉の養子となり家督を相續す明治元年藩黌致道館に入り後ち東京に出て慶應義塾に學ひ同八年故岩崎彌太郞の意を受け森下岩楠と共に三菱商業學校を神田錦町に起し傍ら故馬塲辰猪大石正巳千頭清臣齋藤修一郞等と謀り明治義會を設立し只管人物養成に努む同二十二年第百十九國立銀行の頭取となり後ち同銀行の三菱銀行部と改稱さる〻や其部長となり由來三菱合資會社發展に盡瘁する處尠からす現時同社の顧問にして尚前揭銀行會社重役たるの外東京商業會議所特別議員教育調査會生産調査會各委員帝國軍人後援會水難救濟會各評議員等に擧けられ曩に日露事件の功に依り勳四等に叙せらる
五男齋(明三一、一二生)は男爵齋藤實に六男良幸(同三七、七生)は東京府平民各務幸一郞に各養子となり二女靜惠(同二二、四生)は愛媛縣人鹿村貞吉三男美久に嫁せり
住所・電話番号東京、小石川、水道町三七 電話番町二〇四
参照人物(親類)男爵齋藤實各務幸一郞
参照次数2 (※なし2)
読みとよかわ りょうへい
別名
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