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本多政以 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級從四位、勳四等
爵位・身分・家柄男爵、舊加賀藩國老
職業貴族院議員、株式會社石川縣農工銀行頭取
性別男性
生年月日元治元年十月二十一日 (1864)
親名・続柄 本多政均の長男
家族母 心 天保一四、八生、石川、士、峯直壯姉
妻 品 明元、四生、石川、士、荒木質直姉
男 政樹 明一八、七生、從五位
男 讓 明二六、四生
女 鈴 明二七、一一生
女 松 明三二、三生
女 梅 明三二、三生
女 正 明三三、一二生
記述部分(略伝)當家は舊金澤藩の國老にして祿五萬石を領し先代政均に至る政均藩政を輔け戊辰の役功あり
君は其長男にして元治元年十月二十一日を以て生れ明治二年八月家督を相續す幼名を資松と云ひ明治五年金澤に於て英數學を修め二十年以來專ら縣下の殖産に意を注き之を奬勵し傍ら侯爵家の家政を執る同三十一年株式會社石川縣農工銀行の頭取となる同三十三年特に華族に列し男爵を授けらる現時貴族院議員たり曩に日露事件の功に依り勳四等に叙し旭日小綬章を賜ふ
家族は前記の外五男厚(明三〇、八生)六女竹(同三五、四生)六男桃多郞(同三六、三生)七男克人(同三七、四生)あり
長女良(同二〇、一二生)は石川縣人茨木藻二男清次郞に嫁し二男泰(同二三、六生)は男爵長克連の死跡を相續し名を基連と改め三男儉三(同二四、九生)は石川縣人本多政之の死跡を相續し弟政由(慶應三、七生)は分家し姉寬(萬延元、正生)は男爵長基連の母たり
住所・電話番号金澤、下本多町三番丁五
参照人物(親類)男爵長基連本多政由
参照次数2 (※なし2)
読みほんだ まさざね
別名資松
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