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二條基弘 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正二位、勳三等
爵位・身分・家柄公爵、舊公卿
職業宮中顧問官、貴族院議員、古社寺保存會委員、大日本小銃射的協會々頭
性別男性
生年月日安政六年十月二十五日 (1859)
親名・続柄 鷹司輔凞の子 *
家族養母 恒子 文政九、一生、故邦家親王御長女
妻 治子 文久三、一二生、侯爵前田利爲養叔母
男 厚基 明一六、六生、從四位
男 邦基 明一九、一生
女 敬子 明三三、八生
記述部分(略伝)當家は藤原鎌足十七世の嫡孫忠通四世の孫道家の次男良實の裔なり京二條に邸居せしを以て姓を二條と稱す夫より二世を經て道年に至り爾後二十一世を經て齊教に至る
君は其養子にして實は公爵九條道實の叔父公爵鷹司凞通の弟なり安政六年十月二十五日京都に生れ明治四年當家を相續し同十七年公爵を授けらる同二十一年英國大學に入學し研究是れ努む甞て式部寮御用掛となり又英照皇太后御葬儀に關する諸職を命せらる日露の事件に貴族院議員として功あり勳四等に叙し後ち勳三等に陞叙せらる
家族は前記の外庶子女澄子(明三九、三生、生母櫻木ふさ)同承子(同四〇、五生、生母同上)同男元基(同四一、九生、生母同上)同健基(同四二、一〇生、生母中山コウメ)同恭基(同四四、六生、生母同上)同敏基(大二、六生、生母同上)あり
養弟正麿(明五、一生)は分家し同利敬(同八、二生)は三重縣士族宮橋みつの養子となり同友英(同九、二生)は男爵四條隆平の養子となり隆英と改名し當主たり
住所・電話番号東京、牛込、若松町七三 電話番町六七
参照人物(親類)久邇宮家、公爵九條道實、公爵鷹司凞通、侯爵前田利爲、男爵四條隆英、男爵二條正麿、※伯爵前田利同、※子爵岡部長職、※子爵前田利鬯
参照次数10 (※なし6)
読みにじょう もとひろ
別名
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