林雅之助 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位 | |
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爵位・身分・家柄 | 伯爵、神奈川縣華族 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十年四月六日 (1877) | |
親名・続柄 | 林董の長男 | |
家族 | 母 操 安政五、一〇生、東京、平、山内堤雲養子 妻 ユキ 明一八、一生、兵庫、平、川崎正藏養子 男 忠雄 明四二、一生 | |
記述部分(略伝) | 當家は先代亡父林董に依りて其名を揚く董は舊幕臣林洞海の三男にして嘉永三年二月二十二日を以て生る維新後諸官に歷任し後外務省に出仕す明治二十七年特命全權公使に任せちれ清國駐劄を命せらる二十七八年戰役の功により華族に列し男爵を授けらる三十一年露國駐劄を命せられ次て外務次官に昇進す後英國駐劄特命全權大使となり西園寺内閣の組織せらるゝや外務大臣に任せらる日英日佛日露日韓の協商に功あり特に伯爵に昇せらる 君は其長男にして明治十年四月六日を以て生れ大正二年七月家督を相續し襲爵仰付けられる 家族は尚長女ラク(明四〇、一〇生)二女壽美(同四三、七生三女きみ(同四四、一一生)あり 姉菊▲同七、一〇生)は東京府平民福澤捨次郞に叔母貞(安政二、二生)は男爵赤松則良に同さよ(明元、三生)は東京府平民圖師民嘉に嫁し叔父紳六郞は出てゝ西男爵家を嗣けり | |
住所・電話番号 | 神奈川、三浦、葉山村、堀内四八一 | |
参照人物(親類) | 男爵西紳六郞、男爵赤松則良、福澤捨次郞、川崎正藏、圖師民嘉 | |
参照次数 | 7 (※なし6) | |
読み | はやし まさのすけ | |
別名 |