砂川雄峻 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 大阪府士族 | |
職業 | 辯護士 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 萬延元年二月十一日 (1860) | |
親名・続柄 | 砂川貫一郞の二男 | |
家族 | 妻 シナ 明二、六生、兵庫、士、和田篤長女 | |
記述部分(略伝) | 君は兵庫縣士族砂川貫一郞の二男にして萬延元年二月十一日を以て生れ明治九年十一月先代綱次の養子となり後家督を相續す夙に外國語學校及英語學校に學び後ち轉じて開成學校に入り同校の大學校に改稱せらるゝや君主として英佛の法律を修め傍ら日本法律を研究し同十五年業を卒へ法學士の稱號を得同年高田早苗坪内雄藏等と大隈伯を援けて東京專門學校の創立に參し次で同校講師となる大隈伯の改進黨を組織するや君亦之れに參與し同十六年大阪に移住して辯護士事務所を開設し傍ら政黨の事務に鞅掌す同十七年大阪組合代言人會長に推され同十九年大阪府會議員に翌三十年同議長に擧げられ同三十五年姫路市より選出せられて衆議院議員となる同四十年大阪辯護士會長に推され爾來大阪商業會議所特別議員大阪圖書館設立評議員關西法律學校大阪英語學校各講師其他公私の爲め盡瘁する所尠からず 家族は尚庶子女しん(明四二、一二生、生母、大阪、平、小野川ヤス)あり | |
住所・電話番号 | 大阪、東、北濱二ノ一二四 電話長本局六 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | すながわ かつとし | |
別名 |
人事興信録
- 初版 [明治36(1903)年4月]
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]