菅原傳 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 宮城縣平民 | |
職業 | 衆議院議員(宮城縣郡部選出) | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久三年八月二十五日 (1863) | |
親名・続柄 | 菅原應輔の二男 | |
家族 | 妻 隆 明一四、七生、東京、士、故大審院檢事川目亨一長女 男 傳一郞 明四二、八生 | |
記述部分(略伝) | 君は宮城縣人菅原應輔の二男にして文久三年八月二十五日を以て生れ明治三十二年十月分家して一家を創立す明治十二年東京に出て帝國大學豫備門に學び尋で大學に進み專ら政治學を修む同十九年米國に航しパシフイツク大學に入り政治法律の諸學を研究すること二年後自由黨に加盟し桑港に於て愛國同盟會を起し機關新聞十九世紀を發刊し以て遙に本國人民を警醒す偶々治安妨害を以て政府の禁止する所となる後二三新聞を發刊したるも悉く禁止の厄に逢へり同二十六年布哇を經て再び米國に航し同二十八年朝鮮を跋渉して歸朝す同三十年代議士に推され爾來引續き當選し現今に及ぶ曩に全院委員長に擧げられし事あり政友會に屬し其幹事協議員院内幹事として黨の樞機に參し同會知名の士たり曾て人民新聞を起して其社長たりしことあり曩に日露事件の功に依り勳四等旭日小綬章を賜ふ 家族は尚長女昌子(明三六、一一生)二女治子(同三八、五生)三女昭子(同四〇、三生)二男眞(同四五、四生)あり | |
住所・電話番号 | 東京、麻布、永坂町六九 電話長芝一〇〇九 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | すがわら でん | |
別名 |
人事興信録
- 初版 [明治36(1903)年4月]
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]