瀨川昌耆 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 醫學博士、江東病院長、東京小兒科病院長、南葛飾病院長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政三年四月十七日 (1856) | |
親名・続柄 | 瀨川昌藏の長男 | |
家族 | 妻 すず 文久三、三生、靜岡、士、厚木納平次妹 男 昌世 明一七、一一生 婦 喜子 明二三、八生、長男昌世妻、東京、士、古市公威長女 男 昌邦 明二七、八生 女 雍 明三二、二生 | |
記述部分(略伝) | 君は東京府士族瀨川昌藏の長男にして安政三年四月十七日を以て生れ明治三十七年十一月家督を相續す先是同十五年東京大學を卒業し醫學士の稱號を得後醫學博士の學位を受く現時前記病院長として刀圭界に知らる 家族は前記の外四女讓(明三六、二生)あり 長女恭(同二一、一〇生)は島根縣士族河島基長男醫學士右一に二女順(同二五、八生)は男爵小池正晁に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、神田、駿河臺西紅梅町一六 電話本局一九五五 | |
参照人物(親類) | 男爵小池正晁、古市公威 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | せがわ まさとし | |
別名 |