原勝郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 岩手縣士族 | |
職業 | 文學博士、陸軍步兵中尉、京都帝國大學文科大學教授 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治四年二月二十六日 (1871) | |
親名・続柄 | 原勝多の長男 | |
家族 | 母 トワ 安政二、三生、岩手、士、遠藤政勝長女 妻 タケ 明一五、六生、岩手縣人亡南部稚技長女 男 弘二郞 明三六、二生 弟 敢二郞 明一三、一一生 弟妻 龍 明二五、七生、弟敢二郞妻、岡山、平坂田實三女 弟 捷吉 明二八、七生 | |
記述部分(略伝) | 君は岩手縣士族亡原勝多の長男にして明治四年二月二十六日を以て生れ同三十九年九月家督を相續す二十九年七月東京帝國大學文科大學史學科を卒業して文學士の稱號を得更らに大學院に學ひ三十二年二月步兵少尉となり同年九月第一高等學校教授に任し三十七年十二月步兵中尉となり三十九年十一月最近世史研究の爲め歐米留學を命せられ歸朝後文學博士の學位を授けらる四十二年三月京都帝國大學文科大學教授に榮轉し現に其職に在り其間大正二年六月支那安南暹羅新嘉坡瓜哇マニラへ出張を命せらる 家族は四男勁四郞(明三九、六生)五男五郞(同四三、五生)甥勇夫(同四四、一生、弟敢二郞長男)同幸夫(大二、八生、同二男)あり 弟成介(明二五、三生)は分家し妹フミ(同二二、七生)は岩手縣人佐々木市太郞三男安五郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 京都、上京、吉田町中大路一 | |
参照人物(親類) | 坂田實、※男爵大藏公望 | |
参照次数 | 2 (※なし1) | |
読み | はら かつろう | |
別名 |