平松時陽 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳五等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊公卿家 | |
職業 | 陸軍騎兵大尉 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治六年十月二十三日 (1873) | |
親名・続柄 | 平松時厚の長男 | |
家族 | 母 嘉代子 嘉永六、八生、京都府人人見恒民養子 男 時善 明四一、一生 叔母 好子 嘉永四、四生 弟 時賢 明二六、七生 妹 周禪 明九、五生 妹 花子 明二〇、二生 養妹 祐厚 明二四、一生、叔父行正長女 養妹 誡厚 明二五、五生、叔父行正次女 大大伯母 俊正 天保三、一二生、亡祖父時門五女 | |
記述部分(略伝) | 當家は式部卿葛原親王の子大納言高棟の裔從三位權中納言時庸岐れて一家を創立し姓を平松と稱す後數世を經て先代時厚に至る時厚夙に勤王の大志あり幕府の專橫を憤り同志を糾合して企畫する所あり爲に幕府に忌憚せられ終に勅勘を蒙り慶應三年孝明天皇の御凶事を以て參朝を聽さる戊辰の役征討將軍仁和寺宮に隨伴して軍中の文書を擔任し後軍防事務局親兵掛仰付られ明治十七年功により子爵を授けらる爾來太政官宮内内務司法の各省に出仕し明治二十三年元老院議官に任し同年貴族院議員に勅任せられ尋て錦鷄間祗候仰付らる 君は其長男にして男爵小松行一は君の叔父なり明治六年十月二十三日を以て生れ同四十四年八月家督を相續し襲爵仰付ちる夙に身を軍籍に委ね現に陸軍騎兵大尉たり 弟時冬(明一四、一生)は分家し妹達子(同七、四生)は新潟縣人川上善兵衛に同速子(同一四、一一生)は子爵木下俊哲に嫁し同尊覺(同一〇、四生)は公爵近衞文麿先代篤麿の養妹となれり | |
住所・電話番号 | 東京、赤坂、青山高樹町一二 | |
参照人物(親類) | 公爵近衞文麿、子爵木下俊哲、男爵小松行一 | |
参照次数 | 3 (※なし3) | |
読み | ひらまつ | |
別名 |