下鄕傳平 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 滋賀縣平民 | |
職業 | 滋賀縣多額納税者、仁壽生命保險合資會社長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治五年三月十六日 (1872) | |
親名・続柄 | 下鄕傳平の長男 | |
家族 | 妻 みつ 嘉永五、七生、滋賀、平、富田林平長女 妻 妙 明九、九生、奈良、士、千葉貞幹長女 男 寅吉 明三九、五生 女 伊勢子 明三〇、三生 女 文子 明三三、五生 弟 健三 明二一、一二生 | |
記述部分(略伝) | 君は滋賀縣平民先代下鄕傳平の長男にして明治五年三月十六日を以て生れ前名を寅吉と呼ひ同三十一年六月家督を相續し先代の名を襲く幼にして學を好み第三高等中學校を卒業し笈を負ふて帝都に上り慶應義塾に學ふ後ち實業に志し同三十三年歐米諸國を漫遊して商工業を視察す曩に大阪生命保險株式會社長を始め十數會社の重役となり實業界に盡瘁する所尠からさりしか後感する處あり一身一業主義を採りて現時仁壽生命保險合資會社々長たる外一切の關係を絶ちたり滋賀縣多額納税者にして甞て貴族院議員に當選し日露事件の功により勳四等に叙し旭日小綬章を授けらる君又慈善教育感化事業其他公共團體等に盡す所尠なからす亦多大の資金を投して下鄕共濟會を經營せる如き以て其一班を知るに足る 家族は尚三女歌子(明三七、七生)二男寅次郞(同四一、一生)四女素子(同四三、四生)あり 妹すえ(同一六、四生)は子爵間部詮信に同たか(同一一、二生)は滋賀縣人橫田立長男立次郞に同ゑい(同一四、七生)は長崎縣人新宮義衛長男虎之助に嫁し妻兄外治郞(嘉永六、三生、滋賀、平、五坪周藏弟)は分家し弟寅太郞(明一二、四生)は其妻子を伴ひて亦分家せり | |
住所・電話番号 | 滋賀、阪田、長濱町 東京、芝、三田小山町三七 電話特長芝一一〇八 | |
参照人物(親類) | 子爵間部詮信、下鄕寅太郞 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | しもごう でんぺい | |
別名 | 寅吉 |