白川資長 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊公卿家 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治三年十二月二十八日 (1871) | |
親名・続柄 | 白川資訓の長男 | |
家族 | ||
記述部分(略伝) | 當家は華山院の皇子彈正尹清仁親王の子延信王の末なり延信王萬壽二年三月神祗伯に任し爾來代々之を繼承し慶長以來八神殿(今の賢所)の事務を掌る其子康資を經て從五位上安藝權守顯康に至り姓を源氏と賜ひ白川と稱す累世王家として王號を用ひ始祖以降當代に至る迄連綿九百餘年に及べり又典例として天皇即位の際同家の女王寨帳を勤むるの榮あり又家に永宣旨の印あり以て新に神社たるの資格を授くる特權ありといふ後二十四世を經て右近衞權中將子爵資訓に至る同四年神祗省の命により賢所を同省神殿へ遷座被仰出慶長以來當家に守護すること四百年餘後神祗省に其事務を移せり聞くに當家には皇典に關する古書極めて多く考古史料の參考に供すへきもの堆積せりと云ふ 君は先代資訓の長男にして明治三年十二月二十八日を以て生れ同三十九年家督を相續し襲爵仰付らる曩に外國語學校に入り業を卒へ佛文學の造詣深し | |
住所・電話番号 | 東京、四谷、鹽町一ノ二七 電話番町二一九五 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | しらかわ すけなが | |
別名 |