白井遠平 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 福島縣平民 | |
職業 | 好間炭礦株式會社專務取締役社長東洋木材株式會社、株式會社興業貯蓄銀行、株式會社東洋貯蓄銀行、帝國冷藏株式會社各取締役、株式會社磐城銀行監督 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 弘化三年四月二十九日 (1846) | |
親名・続柄 | 白井幸助の二男 | |
家族 | 母 シン 文政一二、一〇生、福島、平、植田運吉姉 妻 クラ 慶應三、一〇生、亡眞次田一郞二女 男 博之 明二、一二生、現戸主 男 五郞 明一七、三生 男 七郞 明二一、六生 男 十郞 明二五、一〇生 女 ツネ 明二七、九生 女 フネ 明三一、一生 | |
記述部分(略伝) | 君は福島縣平民亡白井幸助の二男にして弘化三年四月二十九日を以て生れ明治二十九年長男博之に家督を讓る曾て郡長に任せられ又縣會議員に學けらる同二十三年福島縣第五區選出の代議士たり同二十四年帝國議會の解散せらるるや故西鄕侯爵品川子爵等と國民協會を組織して之が幹事たりしことあり君又殖産興業に志し蠶糸の改良農事の奬勵等に盡す處少なからす彼の磐城炭礦株式會社入山採炭株式會社の如きは君の創設に係るものにして永く重役の任にあり同三十七年好間炭礦を起し後親族と計りて組織を株式會社に改め其取締役社長に就任せり現時前記諸會社の重役として其任にあり 家族は尚十男十一郞(明二九、二生)十一男十三郞(同三四、一〇生)七女波子(同三九、一生)あり 二男鎭平(同四、九生)は福島縣平民大森長右衛門に四男時三(同一〇、一一生)は東京府平民中澤彦吉に六男六郞(同一九、三生)は同府平民近藤利兵衛に各養子となり長女さた(慶應二、二生)は福島縣平民草野登に三女フミ(同一三、一〇生)は東京府平民菅波角之助に四女キヨ(同一四、九生)は福島縣平民半澤金兵衛に五女きみ(同一七、九生)は東京府平民鈴水菊治に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、本鄕、駒込、東片町一五七 電話下谷一七九 | |
参照人物(親類) | 白井博之、菅波角之助、近藤利兵衛、中澤彦吉 | |
参照次数 | 4 (※なし4) | |
読み | しらい えんぺい | |
別名 |