志賀重昂 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 農學博士、早稻田大學教授、著述家 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久三年九月十三日 (1863) | |
親名・続柄 | 志賀熊太の長男 | |
家族 | 母 しく 天保一二、一一生、愛知、士、松下綱董妹 妻 テツチヨ 明四、九生、佐賀、士、松野篤義長女 男 富士男 明三〇、一〇生 | |
記述部分(略伝) | 君は元愛知縣士族志賀熊太の長男にして文久三年九月十三日を以て生れ明治五年亡兄悌橘の跡を嗣く夙に札幌農學校を卒業して農學士の稱號を得爾來各地に教鞭を執り後上京して雜誌日本及日本人に執筆して國粹保存を皷吹し矧川の名江湖に鳴る又憲政黨一方の將として同黨組織に盡力する處あり同三十一年憲政黨内閣成るに及ひ擢んてられて農商務省山林局長に任せられ幾許もなく官を辭し新聞記者となり後憲政本黨を脱して政友會に入る君又地理學者として其名を知られ著書頗る多く斯界に貢献する所尠なからす曩に農學博士の學位を授けられ現時早稻田大學教授たり 長女鈴江(明二八、七生)は東京府人矢田七太郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、赤坂、靈南坂町三四 電話芝二二 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | しが しげたか | |
別名 |
人事興信録
- 初版 [明治36(1903)年4月]
- 第4版 [大正4(1915)年1月]