壬生基義 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 伯爵、舊公卿家 | |
職業 | 陸軍騎兵中佐、東宮武官、東宮御學問所御用掛 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治六年六月十五日 (1873) | |
親名・続柄 | 壬生基修の子 | |
家族 | 妻 篶子 明一一、一〇生、久邇宮朝彦親王第八王女 男 基泰 明四二、一生 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足十七世の孫御堂關白道長の二男從一位右大臣基音の末子從三位左權中將基起の後なり基起一家を創立し初め葉川と號し其子基淳に至り壬生と改稱すそれより八代を經て伯爵基修に至る 君は其男にして明治六年六月十五日を以て生れ同三十九年三月家督を相續し襲爵仰付らる夙に陸軍士官學校を卒業し同三十年一月騎兵少尉に任し進んて陸軍大學校に入り爾來累進して騎兵中佐に陞任し皇族附武官に補せられ恒久王附屬となり後東宮武官に補せられ大正三年五月東宮御學問所御用掛仰付らる 家族は前記の外二女綾子(明三五、一〇生)四女種子(同四四、七生)あり 姉房子(萬延元、一二生)は伯爵庭田重行伯父重文に同修子(明五、三生)は伯爵清閑寺經房に嫁し妹糸子(同九、六生)は分家し弟基綱(同二一、三生)は子爵町尻量弘の養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京、豊多摩、代々幡村代々木一九六 電話番町一五五六 | |
参照人物(親類) | 久邇宮家、伯爵庭田重行、伯爵清閑寺經房、子爵町尻量弘 | |
参照次数 | 4 (※なし4) | |
読み | みぶ もとよし | |
別名 |