清棲家教 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 伯爵、舊佛光寺住職 | |
職業 | 貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久二年五月二十二日 (1862) | |
親名・続柄 | 伏見宮邦家親王の子 | |
家族 | 妻 滿子 文久元、一生、子爵、倉橋泰昌叔母 | |
記述部分(略伝) | 君は伏見宮故一品邦家親王の第十二子雄仁能久貞愛各親王の弟にして載仁依仁兩親王の兄なり文久二年五月二十二日を以て京都に生る幼名を六十宮と稱す明治二十一年六月清棲家を創立す同六年六月得度し佛光寺派管長となり同九年十月權大教正となり同二十三年貴族院議員に當選し同二十八年八月馬匹調査委員を命せらる同三十年五月山梨縣知事に同三十一年茨城縣知事に後新潟縣知事に任し令名あり現時貴族院議員たり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、下六番町四七 電話長番町一一 | |
参照人物(親類) | 閑院宮家、伏見宮家、北白川宮家、子爵倉橋泰昌 | |
参照次数 | 4 (※なし4) | |
読み | きよす いえのり | |
別名 | 六十宮 |