木越安綱 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳一等、功二級 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、舊金澤藩士 | |
職業 | 陸軍中將 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政元年三月二十五日 (1854) | |
親名・続柄 | ||
家族 | 妻 てい 明四、一一生、長野、士、柳田國男養姉 男 專八 明一三、一〇生、從五位勳五等功五級陸軍砲兵大尉 婦 節 明二二、一一生、長男專八妻、東京、士、伊藤祐敬四女 男 二郞 明二三、一生 女 晴 明三〇、八生 | |
記述部分(略伝) | 君は石川縣士族加藤直忠の弟にして安政元年三月二十五日を以て生れ明治二年三月先代木越喜源の養子となり同年十月家督を相續す同六年二月陸軍教導團に入り後士官學校に學ひ西南の役に從ふ同十年七月陸軍少尉に任し同十五年十二月獨逸國留學を命せられ同十九年七月歸朝爾來累進して三十七年十月中將に陞り大正三年豫備役仰付らる其間臺灣陸軍補給廠長歩兵第二十三旅團長等の要職に歷補す日清の役には第三師團參謀長として軍に從ひ功を以て勳五等双光旭日章及功四級金鵄勳章を賜ひ北清事件に際し勳二等に陞叙し日露の役には韓國臨時派遣隊司令官に補し尋て後備第一師團長に轉し偉功を樹て勳一等功二級に陞叙せらる第三次桂内閣の成立に際し陸軍大臣に任せらる 家族は前記の外四男進(明三二、一一生)五女勝子(同三七、四生)五男勉(同四〇、九生)六女雅子(同四二、四生)六男五郞(同四四、七生)七男宏(大二、一生)孫安一(明四二、一生、長男專八長男)同豊彦(大二、八生、同二男)あり 二女アイ(明二六、一二生)は石川縣士族藤岡兵一に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、牛込、市ケ谷加賀町二ノ一九 電話番町三七二五 | |
参照人物(親類) | 柳田國男 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | きごし やすつな | |
別名 |