紀俊秀 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、舊神職 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治三年十月二十四日 (1870) | |
親名・続柄 | 紀俊尚の三男 | |
家族 | 妻 美稔 明八、三生、和歌山、士、山本晟忠五女 女 富美子 明三〇、六生、學習院女學部在學 | |
記述部分(略伝) | 當家は從五位下紀行義の後なり後三十八世を經て從五位俊尚に至る世々紀州日前國懸兩神社の神職たり父俊尚明治五年華族に列し同十七年七月男爵を授けらる 君は其三男にして明治三年十月二十四日を以て生る幼名を文麿といふ同二十四年十月日前國懸兩神社宮司となり同二十九年八月家督を相續す翌三十年七月貴族院議員に當選し同三十七年再選せらる同三十九年日露事件の功により勳四等に叔し旭日小綬章を賜はる 家族は前記の外二女富久子(明三八、八生)四女富喜子(同四三、七生)あり 弟俊(同六、一生、正六位勳六等日前神宮國懸神宮各宮司)は其子と共に分家し妹秀美子(同一五、八生)は巖手縣平民作山專吉に同峰子(同八、七生)は和歌山縣士族木下共治に嫁し三女富佐子(同四一、六生)は兵庫縣平民平野義賢の養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京、四谷、永住町二 電話番町一八八四 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | きい としひで | |
別名 | 文麿 |
人事興信録
- 初版 [明治36(1903)年4月]
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]