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井口省吾 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正四位、勳一等、功二級
爵位・身分・家柄靜岡縣平民
職業陸軍中將、第十五師團長
性別男性
生年月日安政二年八月十日 (1855)
親名・続柄 井口幹一郞の二男
家族兄 磐 嘉永五、八生
嫂 よね 文久元、一一生、兄磐妻、靜岡、平、松永安彦養妹
甥 幹夫 明九、五生、兄磐長男、現戸主
妻 ひろ 明一〇、七生▲靜岡縣人鈴木健吉郞妹
女 みつ 明三三、一生
記述部分(略伝)君は靜岡縣平民井口幹一郞の二男にして安政二年八月十日を以て生る明治八年十二月陸軍士官學校に入り同十二年二月陸軍砲兵少尉に任し同十五年四月中尉に進み同十七年二月陸軍大學に入り同十八年五月大尉に進み同二十年五月獨逸國留學を命ぜられ同二十三年十二月歸朝參謀本部に出仕し同二十四年十一月少佐に昇進し日清の役起るや第二軍參謀として軍に從ひ二十八年三月中佐に進み同九月功に依り功四級金鵄勳章並に單光旭日章を賜はる同三十年十月大佐に任じ陸軍大學校教頭に同三十四年四月軍事課長に補し翌年五月少將に陞り參謀本部總務部長に補せられ同三十七年日露戰役に際し滿洲軍參謀として從軍し功に依り勳二等功二級に陞叙せらる同四十二年八月中將に任じ陸軍大學校長に補せられ後第十五師團長に轉じ現に其職にあり
家族は前記の外五女すゑ(明三五、五生)七女ふゆ(同四三、一生)あり
長女きよ(同一七、九生)は岡山縣士旅圓山春黛二男幾彦に三女はな(同二六、一二生)は岐阜縣平民今井晨一に嫁し弟篤三(慶應元、一〇生)は其妻子を伴ひ分家し現時靜岡農工銀行支配人の任に在り六女はる(明四〇、三生)は靜岡縣平民池田穗三郞の養女となれり
住所・電話番号愛知、渥美、高師村
参照人物(親類)松永安彦
参照次数1 (※なし1)
読みいぐち しょうご
別名
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