石本惠吉 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從五位 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、東京府華族 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治二十年十二月十五日 (1887) | |
親名・続柄 | 石本新六の長男 | |
家族 | 母 ゑつ 慶應二、七生、元學習院教授安達松太郞妹 弟 憲治 明二二、二生 弟 已四雄 明二六、九生 | |
記述部分(略伝) | 君は從三位勳一等功二級陸軍中將前陸軍大臣石本新六の長男にして明治二十年十二月十五日の出生なり同四十五年四月父の薨去に依り家督を相續す父は舊姫路藩士勝右衞門の六男にして明治二年藩選を以て貢進生として大學南校に學ひ同八年陸軍士官學校に入り同十年西南役に勳功あり同十二年陸軍工兵少尉に任ぜられ同年佛國留學を命せられてオンテスフロナー砲工兵實施學校に學び蘭白伊の諸國を巡視して同十五年歸朝す翌年更に伊國に差遣せられ四ケ年餘にして歸朝し爾來累進して同三十七年陸軍中將に陞任す其間陸軍士官學校教官同大學校教官參謀本部御用掛築城本部長陸軍砲工學校長總務長官法務局長臨時陸軍建築部本部長輕氣球隊長陸軍次官となり尋で陸軍大臣に親任せらる日清の戰役には臨時陸軍運輸通信部長に補し功を以て勳四等功四功を賜ひ日露役には陸軍次官として畫策する所尠からす其功に依り勳一等に陛叙し功二級金鵄勳章を賜り同四十年九月特旨を以て華族に列し男爵を授けらる 家族は前記の外弟五雄(明三〇、六生)妹總(同三五、四生)弟六哉(同三六、九生)あり | |
住所・電話番号 | 東京、小石川、高田豐川町五九 電話番町一五〇六 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | いしもと けいきち | |
別名 |