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佐久間左馬太 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正二位、勳一等
爵位・身分・家柄伯爵、舊山口藩士
職業陸軍大將、臺灣總督
性別男性
生年月日弘化元年十月十日 (1844)
親名・続柄 岡村孫七の二男
家族男 俊一 明九、二生、正五位
婦 正子 明一七、一一生、三男俊一妻、宮城平、勝尾信彦妹
記述部分(略伝)君は舊山口藩士岡村孫七の二男にして弘化元年十月十日を以て生る舊名を直矩と云ふ後同藩士佐久間竹之允の養子となる慶應年間幕府征長の擧あるや君龜山隊の隊長となり藝州口に奮戰し大捷を得戌辰の役長藩輔佐長官を以て奥羽各地に轉戰し偉功を樹て明治二年朝廷初めて兵制を革め六管鎭臺を編成するに方り西海鎭臺に入り同五年陸軍大尉に同十一月少佐に同七年中佐に任せられ同十年西南の役大に武功あり爾後累進して同三十一年陸軍大將に任せらる其間第十旅團長第二師團長近衛師團長中部都督に歷補し三十五年休職仰付られ三十七年復職同三十九年臺灣總督に親任せられ今日に至る二十八年子爵を授けられ四十年伯爵に陞爵せらる
家族は前記の外孫美子(明三四、五生、三男俊一長女)同靜子(同三四、五生、同二女)同辰雄(明三六、八生、同長男)同文子(同四三、六生、同三女)あり
養子敏子(同一四、一生、宮城、平、勝尾信彦姉)は山口縣士族岡烈弟欽一に嫁せり
住所・電話番号臺北、新北門街三丁目官舍
参照人物(親類)岡烈
参照次数1 (※なし1)
読みさくま さまた
別名直矩
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