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淺沼藤吉 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級
爵位・身分・家柄東京府平民
職業合名會社淺沼商會社長、日本乾板株式會社監査役
性別男性
生年月日嘉永五年十月二十九日 (1852)
親名・続柄 淺沼善四郞の長男
家族妻 とよ 明元、六生、東京、平、森田平吉長女
男 治 明一五、九生、獨逸伯林高等工業學校出身、合名會社淺沼商會工場長
婦 エイ 明二二、七生、三男治妻、石川、士、山川勇木女
養子 龍吉 明一二、一二生、長女キン夫、東京、平、永井瀧藏二男、合名會社淺沼商會々計部長
女 キン 明一七、七生、養子龍吉妻
養子 文右衛門 明一三、四生、二女亮夫、東京、平、亡輪座文三郞長男
女 亮 明二〇、二生、養子文右衛門妻
女 カノ 明二七、五生、學習院女學部出身
女 美津 明三〇、二生、日本橋高等女學校出身
記述部分(略伝)君は千葉縣平民亡淺沼善四郞の長男にして嘉永五年十月二十九日を以て生る寫眞石版器械製造藥種問屋を營み市内各所に工場陳列場等を設け專ら業務の擴張に努む又曩に東京輸入合資會社代表社員たりしも現時日本乾板株式會社取締役合名會社淺沼商會社長たり
家族は前記の外孫茂登子(明四〇、三生、養子龍吉二女)同ハマ(同四〇、一〇生、三男治長女)同治一(同四二、二生、同長男)同英二(同四二、二生、同二男)同吉三(同四三、一〇生、同三男)同藤子(大元、八生、養子文右衞門二女)あり
三女てる(明二一、二生)は千葉縣平民富留宮代次郞長男直亮に嫁せり
住所・電話番号東京、日本橋、本町二ノ一六 電話本局五四九
参照人物(親類)山川勇木、※左右田金作
参照次数2 (※なし1)
読みあさぬま とうきち
別名
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