粟田口定孝 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、舊公卿 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保八年十二月二十一日 (1838) | |
親名・続柄 | 粟田口顯孝の六男 | |
家族 | 妻 孝子 嘉永四、九生、大阪、平、奥村信厚長女 養子 信豊 大元、八生、子爵芝山孝豐二男 女 綾子 明一三、一二生、從六位、權掌侍 | |
記述部分(略伝) | 當家は内大臣藤原鎌足七代内舍人良門の末裔正二位權中納言顯賴の第二子從三位參議左兵督衛方(粟田口別當入道舜信と稱す)の後にして葉室家の庶流なり 君は正二位大納言顯孝の六男にしして天保八年十二月二十一日を以て京都に生る齡七歳にして南都興福寺の僧となり十五歳の時得度して養賢院の住職となる明治元年四月復飾し春日神社神勤を命せられ即日昇殿堂上に列せらる一家を立てゝ家號を粟田口と稱す爾來八坂北野貴船住吉神社等に宮司たりしか現今高津宮社司たり明治八年華族に列せられ同十七年七月男爵を授けらる 次男田鶴麿(明八、七生)は子爵芝山佑豊の養嗣子となり孝豐と改名し子爵家を襲ぎ四女能子(同一八、三生)は京都府平民山田九藏に嫁せり | |
住所・電話番号 | 京都、上京、室町通一條上ル小島町五四七 | |
参照人物(親類) | 子爵芝山孝豐 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | あわたぐち さだたか | |
別名 |