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寺田勇吉 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級從四位、勳四等
爵位・身分・家柄東京府平民
職業私立精華學校長
性別男性
生年月日嘉永六年六月十二日 (1853)
親名・続柄 寺田高吉の二男
家族妻 つね 慶應元、一〇生、東京、士、篠木信也三女
男 勇一 明一九、九生、工學士三菱合資會社員
記述部分(略伝)君は舊幕臣寺田高吉の二男にして嘉永六年六月十二日を以て生る幼時舊昌平學校の給仕となり傍ら漢學を修む年十五歳甫めて彰義隊に加はりて奮鬪せり明治三年開成學校大學南校に入りて獨逸學及鑛山學を修む同七年鑛山局に出仕し爾來大學教諭第一高等中學校教諭に歷任し同二十二年一月歐米に差遣せられ歸朝後文部省參事官同書記官同視學官等に歷任し同三十五年東京高等商業學校長に任ぜらる後幾くもなく職を辭し現時精華學校長として育英に從事せり
二女たか(明一六、六生)は東京府人橋爪哲造に三女吉(同一八、一生)は大分縣人田島儀一長男勝太郞に嫁せり
住所・電話番号東京、小石川、高田豐川町二四 電話番町一一八
参照人物(親類)
参照次数
読みてらだ ゆうきち
別名
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