鄕誠之助 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從五位 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、東京府華族 | |
職業 | 貴族院議員、株式會社東京株式取引所理事長、入山採炭株式會社々長、株式會社帝國商業銀行、電氣信託株式會社各取締役、合資會社日本鉛管製造所業務擔當社員、合名會社東商會代表社員、東京商業會議所特別議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應元年一月八日 (1865) | |
親名・続柄 | 鄕純造の二男 | |
家族 | 養子 朔雄 明二五、九生、亡父純造九男、從五位 | |
記述部分(略伝) | 當家は大江廣元の後にして其裔嗣成に至り農となり美野國黑野村に住す夫より六世を經て先代正二位勳一等純造に至る純造夙に史書劍槍を學ひ笈を負ふて江戸に出て幕府の旗下に仕へ後内國各地を巡遊して足跡至らざる所なし明治元年會計局組頭となり尋て會許出納司知事に進み同二年大藏少丞に任し民部少丞を兼ね爾來大藏權大丞戸籍權頭大藏大亟大藏大書記官國債局長大藏少輔主税局長等に歷任し同十九年大藏次官に任し同二十四年貴族院議員に勅選せられ同三十二年錦鷄間祗候仰付られ同三十三年勳功に依り男爵を授けられ同四十三年十二月病を以て薨す 君は其二男にして慶應元年一月八日を以て生れ父の殁後を嗣ぎ襲爵仰付らる君夙に獨逸に遊び後佛國に轉し專ら實業を視察し歸朝後實業界に入り現時前記諸會社の重役に擧げられ事業經營の任に在り 妹幸(明五、五生)は東京府平民川崎八右衞門に同英子(同一九、八生)は千葉縣平民北田彦三郞に嫁し弟力三郞同六、一一生)は其妻みね(同一七、四生、東京、士、波多野承五郞長女)と共に分家し同舛(同一〇、八生)同芳男(同一三、一一生)も亦各分家し同豐彌(同八、一生)は男爵岩崎久彌先代彌太郞に同潔(同一二、九生)は茨城縣平民川崎福三に甥昇作(同二五、九生、亡兄溫三男)は東京府士族山本義方長男錠太郞に各養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、上二番町二八 電話番町五七二 | |
参照人物(親類) | 男爵岩崎久彌、波多野承五郞、川崎八右衞門、北田彦三郞 | |
参照次数 | 4 (※なし4) | |
読み | ごう せいのすけ | |
別名 |