奧平昌恭 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從五位 | |
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爵位・身分・家柄 | 伯爵、舊豐前中津藩主 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十年六月十六日 (1877) | |
親名・続柄 | 奧平昌邁の子 | |
家族 | 祖父 昌服 天保元年十二月生 祖母 やす 天保六年八月生 叔母 春 明治十一年一月生 妻 禎 明治十六年二月生伯爵有馬賴萬女 弟 昌國 明治十三年一月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は具平親王の遠裔奧平貞能の男信昌の後なり信昌父と共に德川氏に屬し四方に轉戰して偉功あり其子家昌別に宇都宮の城主となり十萬石を領し享保年間豐前中津に移りそれより十二世を經て昌邁に至る昌邁學を福澤諭吉に受け明治五年米國に遊學し後東京芝區長たりし事あり同十八年卒す 君は其男なり明治十年六月十六日を以て東京に生る幼名を丸八郞と稱す同十八年一月家督を相續し同三十年六月今の名に改む同三十年七月從五位に叙し同三十一年十月拜謁して天杯を賜はる 家族は叔父昌友(明治二十年九月生)あり 同昌吉(同八年十二月生)は子爵稻垣長敬の養子となり同昌久(同十五年一月生)は東京府平民松平忠行死後養子となれり同昌繁(同十八年三月生)は分家し叔母春子(同十一年一月生)は栃木縣平民安生順一郞に嫁し叔父榮之助(同廿五年十月生)は東京府平民松平忠善の相續人となり同忠善(同十五年一月生)は分家す | |
住所・電話番号 | 東京市芝區高輪南町五三 電話新橋一七四四 | |
参照人物(親類) | 伯爵有馬賴萬、子爵稻垣長敬 | |
参照次数 | 2 | |
読み | おくだいら まさやす | |
別名 | 丸八郞 |