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大村德敏 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級從五位
爵位・身分・家柄子爵、舊山口藩士
職業
性別男性
生年月日明治九年四月五日 (1876)
親名・続柄 毛利元德の六男
家族養曾祖母 こと 天保五年十一月生山口縣士族高樹半兵衞女
妻 うめ 明治十二年二月生男爵福原俊丸妹
記述部分(略伝)當家は先代益二郞より家名を揚ぐ益二郞は田村孝益の子にして文政七年三月防州大村に生る長ずるに及び藩主毛利氏其才學を喜び擢んでゝ藩の兵學教授となし普國の兵書を抄譯せしむ即ち戰鬪術門なり後幕府兵と四方に戰つて連捷す伏見の變及東叡山の戰賊をして悉く敗走せしむ尋いで會津城を陷れ後兵部大輔に任ぜらる政府に建議して兵學校を建設せしむ朝議之れを可とす益二郞即ち命を奉じて幾内に赴く京師木屋坊に宿す賊あり數人夜に乘じて之れを刺す實に明治二年九月なり朝廷勅して從三位を贈り生前の勳功により子孫を華族に列し特に子爵を授けらる寬人其後を續ぎ君に至る
君實は公爵故毛利元德の六男なり明治九年四月五日を以て生る幼名を六郞と云ふ同二十五年九月先代寬人の養子となり同十月家督を相續し同二十六年六月今の名に改め同二十九年四月從五位に叙せらる
家族は前記の外女靜子(明治三十五年三月生)あり
住所・電話番号東京市芝區下高輪町一四
参照人物(親類)公爵毛利元昭、男爵福原俊丸
参照次数2
読みおおむら のりとし
別名六郞