戸田康泰 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊信州松本藩主 | |
職業 | 式部官 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 萬延元年六月三日 (1860) | |
親名・続柄 | 戸田光則の長男 | |
家族 | 弟 嶽 文久二年十一月生 妹 熊子 文久元年七月生 同 桂子 明治九年三月生 妻 富子 明治三年十一月生侯爵德川義禮養妹 | |
記述部分(略伝) | 當家は鎌足十一代公季六代實行の裔三條公治の男實興の後なり其子實光戸田三郞と稱すそれより七世を經て康長に至り康直光重繼ぎ更に八世を經て光則に至る 君は其長男なり萬延元年六月三日を以て生れ明治十四年十二月家督を相續す同十五年九月墺國維世納公使館員外書記生を命ぜられ同十七年七月子爵を授けられ同十九年交際官試補に任じ同三十年七月正四位に叙せられ同卅一年一月式部官に任ぜらる 家族は前記の外男康保(明治二十二年十一月生)同康定(同二十六年五月生)同光彦(同二十七年九月生)同邦光(同二十九年一月生)女幾子(同三十一年四月生)あり 弟懿三郞(同二年二月生)は子爵戸田氏懿妹鈴子の聟養子となり叔母りやう(安政五年三月生)は子爵小笠原貞孚姉志滿子(嘉永二年月生)は子爵戸田忠恕に嫁し叔父央(安政元年十一年生)は入りて子爵板倉家を繼ぎ明治十九年四月家督を相續し名を勝觀と改む | |
住所・電話番号 | 東京市日本橋區矢ノ倉町十三 電話浪花一六〇七 | |
参照人物(親類) | 侯爵德川義禮、子爵戸田氏懿、子爵小笠原貞孚、子爵板倉勝觀、子爵戸田忠友 | |
参照次数 | 5 | |
読み | とだ やすひろ | |
別名 |