戸田忠友 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊野州宇都宮藩主 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 弘化四年八月二十二日 (1847) | |
親名・続柄 | 戸田忠偲の二男 | |
家族 | 養母 志滿子 嘉永二年一月生子爵戸田康泰姉 男 忠庸 明治十二年二月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足の末葉戸田光忠の後なりその子三郞右衞門忠次德川家康に仕へ軍功あり天正年間伊豆下田の地五千石を賜ふそれより三代忠昌に至り肥後國天草に移る又下總國佐賀に轉じ其子從四位下侍從忠眞に新地一萬石を賜はり越後國高岡に移り又野州宇都宮に轉ず其弟忠章に所領を分ち本館七萬八千石たりそれより七代忠恕を經て君に至る 君は戸田忠偲の次男なり弘化四年八月二十二日を以て江戸に生る幼名を錏太郞又求之丞と稱す慶應元年正月先代忠恕の養子となり其封を襲ぐ明治二年六月宇都宮藩知事に任じ同六年三月權少教正に同七年六月權中教正に同十二年五月中教正に同十六年五月宇都宮二荒神社宮司に同年八月兼東京府社新田神社祠官に歷任し同十八年七月勳四等旭日小綬章を賜ひ同二十年十二月正五位に同二十五年七月從四位に同三十年七月正四位に叙せらる 家族は前記の外男曠(明治二十五年十二月生)同清(同二十八年二月生)あり 女やす子(同九年四月生)は栃木縣平民戸田ますの養女となり同とよ子(同二年七月生)は伯爵有馬賴萬に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京市深川區東森下町一〇五 | |
参照人物(親類) | 子爵戸田康泰、子爵戸田氏懿、伯爵有馬賴萬 | |
参照次数 | 3 | |
読み | とだ ただとも | |
別名 | 錏太郞、求之丞 |