戸田忠義 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊野州曾我藩主 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 元治元年八月朔日 (1864) | |
親名・続柄 | 戸田忠綱の子 | |
家族 | 父 忠綱 天保十一年十二月生 母 愛子 天保十三年八月生 男 忠肅 明治三十四年十一月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足十一世公季六代實行の裔野州宇都宮藩主戸田忠寬の男忠舜の後なり忠舜忠寬より封邑を分與され別に一家をなし野州曾我野一萬千百三十九石の藩主となるその子忠至を經て忠綱に至る 君は其男なり元治元年八月朔日を以て生る幼名を鐘次郞と云ふ明治十五年六月家督を相續し同十七年子爵を授けられ同十八年賢所勤番を仰付られ同三十年七月貴族院議員となり同三十三年九月同院議員を辭す同九年二月從五位より同三十年七月正四位に昇叙せらる 叔父興朝(安政四年五月生)は子爵秋元家を相續し兄實博(慶應二年五月生)は男爵鹿園家を相續し姉種子(文久元年二月生)は子爵井上正巳に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京市神田區西小川町一ノ一一 | |
参照人物(親類) | 子爵秋元興朝、男爵鹿園實博、子爵井上正巳 | |
参照次数 | 3 | |
読み | とだ ただよし | |
別名 | 鐘次郞 |