本多貞吉 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊播州山崎藩主 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治五年七月八日 (1872) | |
親名・続柄 | 本多忠明の二男 | |
家族 | 妻 宜子 明治十三年二月生子爵植村家壺次女 養兄 忠禎 安政三年十二月生 婦 ため 明治二年二月生兵庫縣士族武間義正次女 弟 龜二 明治六年六月生 同 豐 明治七年五月生 同 忠銓 明治九年六月生 姉 鏗子 慶應三年七月生 妹 光子 明治十四年八月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足の裔本多政朝の三男政信より出づ政信岐れて一家をなしそれより十代忠禎に至る 君實は先々代忠明の次男にして先代忠禎は其の叔父なり君は明治五年七月八日を以て生れ同十二年十一月家を續ぎ同十七年七月子爵を授けられ同三十年十二月正五位に叙せらる 家族は前記の外弟強(明治二十年三月生)妹富子(同二十四年七月生)女秀子(同三十三年七月生)甥寬(同二十二年四月生)あり 姉鏻子(同元年六月生)は大阪府平民木村重雄に嫁し叔父道純(天保八年九月生)は故本多溫純の後を繼ぐ | |
住所・電話番号 | 兵庫縣宍栗郡山崎町ノ内鹿澤町四〇 | |
参照人物(親類) | 子爵植村家壺、子爵有馬道純 | |
参照次数 | 2 | |
読み | ほんだ さだきち | |
別名 |