坊城俊章 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 伯爵、舊公卿 | |
職業 | 豫備陸軍步兵中佐、貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 弘化四年一月二十四日 (1847) | |
親名・続柄 | 坊城俊政の長男 | |
家族 | 母 しげ 嘉永元年二月生京都府士族濱崎篤造妹 妹 光 慶應元年十月生 叔母 桂州 天保十一年九月生 男 俊德 明治二十二年十一月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足の末勸修寺定資の孫俊冬坊城と稱す此れ當家の祖なり夫れより六代俊名にて暫く中絶し參議俊昌再興すそれより九代俊政に至る 君は其後にして俊政の長男なり弘化四年一月二十四日を以て生る明治二年陸軍少尉に任じ同四年十月露國及獨逸へ留學し同十一年十一月家を續ぎ同二十八年十二月勳三等に叙し同三十年七月貴族院議員に選れ同三十一年六月正三位に叙せらる其間參與職辨事外國事務官補三等陸軍將を仰付られ山形縣知事に任じ近衞步兵大隊長臺灣兵站司令官近衞師團司令部附等に歷補同二十八年同中佐に任ず 家族は前記の外男俊良(明治二十六年八月生)同俊賢(同三十年二月生)同俊智(同三十一年八月生)女竹子(同二十三年十月生)同壽重子(同三十三年十一月生)同理子(同三十五年四月生)あり 弟捨麿は滋賀縣士族故波多野廣善の養子に同俊延(同二年四月生)は別戸し弟佐麿(同六年四月生子爵芝山孝豐養父)は子爵家芝山益子の養子となり大叔母梓(弘化三年一月生)は子爵長谷信篤に妹錄子(文久元年四月生)は岡山縣士族芳村正秉に同伊萬子(明治八年十二月生)は男爵本田親雄二男親濟に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京市神田區駿河臺鈴木町一六 電話本局三一〇七 | |
参照人物(親類) | 子爵芝山孝豐、男爵本田親雄、子爵八條隆正、子爵長谷信篤、男爵城城俊延 | |
参照次数 | 6 | |
読み | ぼうじょう としあや | |
別名 |