籾山半三郞 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | ||
職業 | 鰹節問屋、内國通運株式會社評議員浦賀船渠株式會社相談役、株式會社日本通商銀行頭取、帝國海上保險株式會社相談役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永元年四月十四日 (1848) | |
親名・続柄 | 籾山半右衞門の二男 | |
家族 | 養父 半平 文政十年九月生 養母 まち 天保十三年十二月生神奈川縣人故安達利八三女 妻 登美 安政元年二月生東京府人高津伊兵衞二女 養妹 ため 元治元年生 男 竹藏 明治二十年八月生 女 やす 明治十六年八月生 同 せん 明治十八年四月生 | |
記述部分(略伝) | 君は東京府人籾山半平の養甥にして實は半平養兄故半右衞門の二男なり嘉永元年四月十四日を以て生る明治十三年家督を相續す海産物商にして屋號を三浦屋と稱す同卅年株式會社日本通商銀行起るや推されて頭取となり尚ほ前記諸會社の重役を兼ぬ 養弟豐次郞(慶應三年生東京府人金子久兵衞三男)は其妻りう(安政六年生養父半平女)を携へ分家し女まち(明治七年四月生)は分家し同きち(同十年十二月生)は東京府平民西川喜八の男竹藏に同たま(同十三年三月生)は東京府平民稻延新太郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京市京橋區築地二ノ二五 電話新橋二八八 東京市日本橋區元四日市河岸三號地土手倉々庫 電話本局三一七四 東京市日本橋區小舟町二ノ五 電話浪花一六七 | |
参照人物(親類) | 西川喜八 | |
参照次数 | 1 | |
読み | もみやま はんざぶろう | |
別名 |