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久松定弘 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級正四位
爵位・身分・家柄子爵、舊豫州今治藩主
職業貴族院議員
性別男性
生年月日安政四年正月二日 (1857)
親名・続柄 大河内正晴の長男
家族養母 みき 弘化二年十月生東京府華族故綾小路綾賢長女
妻 祿 萬延元年十一月生子爵青山幸宜姉
弟 功 明治十四年二月生
男 定陽 明治十年三月生
女 文子 明治十九年十一月生
養女 千代子 嘉永六年六月生
記述部分(略伝)當家は左近衞權少將久松貞勝の五男美濃守定房の後なりそれより十代を經て君に至る
君實は從五位大河内正晴の長男なり入つて先代定法の後を承く安政四年正月二日を以て生れ幼名を弘太郞といふ明治四年十二月定法に養はれ同五年八月家を續ぎ同七年十一月獨乙に留學し同十一年十二月歸朝し同十七年七月子爵を授けらる同廿年六月内務省參事官に任じ同年十二月正五位に叙し同廿一年二月公使館書記官に同年三月兼第一高等中學教諭に任じ同廿三年七月貴族院議員となり同年十月兼第一高等學校教授に任じ同二十五年七月從五位同三十年七月正四位に任じ同月再び貴族院議員となる
家族は前記の外男基(明治二十二年六月生)同協(同二十六年二月生)同慥爾(同三十一年七月生)あり
住所・電話番号東京市下谷區上野花園町二
参照人物(親類)子爵青山幸宜
参照次数1
読みひさまつ ていこう
別名弘太郞