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由利公正 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級從三位、勳二等
爵位・身分・家柄子爵、麝香間祗候、舊越前福井藩士
職業貴族院議員
性別男性
生年月日文政十二年十月十一日 (1829)
親名・続柄 由利義知の子
家族妻 たか 天保八年三月生石川縣士族今村傳兵衞女
婦 糸子 明治九年六月生男公道妻伯爵壬生基脩女
孫 公春 明治三十一年四月生
記述部分(略伝)當家は由利八郞維平の裔兵庫介の後なり兵庫介出羽瀧津の城主たりしを以て姓を瀧津と稱す後數世次郞左衞門に至り故ありて姓を三岡と改め越前福井に移りて世世松平氏に仕ふそれより六世を經て義知に至る
君は其男なり文政十二年十月十一日を以て生る嘉永六年笈を負ふて江戸に來り砲術を研究して大に之に熟達す慶應三年徵士參與職御用金穀取締明治元年會計事務兼制度寮掛同年會計事務局判事參與職同二年當官を以て造幤局掛兼務同年大阪府知事御用取扱同四年福井藩廳事務取扱を仰付られ同年東京府知事に任じ同五年特命全權大使に隨ひ歐洲各國へ差遣され同十八年元老院議官に任じ其間諸職に補し同二十三年貴族院議員となり同年麝香間祗候を同二十六年臨時製鐵事業調査委員を仰付られ同卅年貴族院議員任滿ちて辭し同年再び同議員に當選す君維新の際群議を排して紙幤發行を決行し新政府の財政を整理したるあり其金貨本位に對する意見等亦大に見るべきものあり明治元年四月從四位より同二十六年六月從三位に昇叙せらる
家族は前記の外孫正通(明治三十二年八月生)あり
住所・電話番号東京市芝區車町四六
参照人物(親類)伯爵壬生基脩
参照次数1
読みゆり きみまさ
別名