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北里柴三郞 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級正五位、勳三等
爵位・身分・家柄熊本縣平民
職業醫學博士、傳染病研究所長東京痘苗製造所長
性別男性
生年月日嘉永五年十二月二十日 (1853)
親名・続柄 北里惟信の長男
家族妻 とら 慶應三年三月生東京府士族大藏省官吏松尾臣善二女
男 俊太郞 明治二十八年一月生
記述部分(略伝)君は熊本縣平民北里惟信の長男にして嘉永五年十二月二十日を以て生る明治三十一年家督を相續す君夙に刀圭の學に志し帝國大學を卒業して醫學士となり後獨逸に留學し「コツボ」博士に從ふて血清療法及細菌學を修む北里菌を發見して世界の稱讃を博す功に依て勳三等に叙せられ醫學博士の稱號を受く歸朝後内務省に奉職す甞てペスト病の支那内地に發生するや使命を帶びて緖方博士と彼地に向ひ終に病源を極む茲に於てか我國唯一の細菌學者として目せらる爾來傳染病研究所長東京痘苗製造所長として孜々精勵局に當れり
家族は前記の外女やす(明治二十六年九月生)同美代(同三十五年八月生)男善次郞(同三十年十二月生)養妹ふみ(同二十四年二月生熊本縣平民藏原惟曉二女)あり
住所・電話番号東京市麻布區仲ノ町一九 電話新橋二七〇九
参照人物(親類)松尾臣善、北里袈裟男
参照次数2
読みきたざと しばさぶろう
別名