Japanese

赤松則良 (First Edition [April 1903] )

Rank/ Honors/ Grade正三位、勳一等
Title/ Family rank etc.男爵
Occupation貴族院議員,豫備海軍中將
Gender男性
Birthday天保十二年十一月朔日 (1841)
Parent and relation 吉澤政範の二男 **
Family妻 貞子 安政二年二月生靜岡縣士族林阿海女
男 範一 明治三年一月生
男 喬二 明治十一年五月生
婦 すみ 明治十一年十一月生範一妻靜岡縣士族遠田注女
Biography當家は具平親王の後裔堀川季房の後にして先代丸尾良則に至る良則本姓に復して赤松と稱す
君は其の孫にして天保十二年十一月朔日を以て生る幼名を大三郞と云ひ舊幕府の臣たり維新の初め和蘭に留學生として軍事を研究し會々丁澳戰爭あるや榎本武揚と共其實況を視察し大に得る處あり歸朝後明治三年兵部省出仕を仰付らる同年海軍兵學校大教授に同五年海軍大丞に同六年墺國博覽會へ差遣され同七年歸朝海年少將に任じ兼海軍大丞に補せられ臺灣の土蕃を征討して降服せしめ同十九年造船會議長兼兵器會議長に補せらる同廿年特旨を以て華族に列し男爵を授けられ同年海軍中將に任じ同廿四年橫須賀鎭守府司令長官に補し同廿五年豫備役仰付られ同廿六年貴族院議員となる明治三年正七位に同二十一年勳一等に同卅二年正七位に叙せらる
男盛三(同十七年五月生)は岡山士族貴族院議員何禮之女婦美養子に同庸男(同二十年六月生)は貴族院議員色部義太夫養子に同酉乙(同卅年五月生)は男爵紳六郞養子に女登志子(同四年九月生)は宮下道三郞妻に同登久子(同八年十二月生)は士族土子金四郞妻に同滿利子(同十年二月生)は士族伴正重妻に同加津子(同十二年十一月生)は長野縣平民北村英一郞妻に同曾代子(同十四年十二月生)は靜岡縣平民橫田保兵衞妻に同古登子(同十八年九月生)は士族成田友久養女となり
男小寅(同廿三年四月生)同六雄(同廿五年七月生)女美登子(同廿四年七月生)同浪江(同廿七年一月生)は家にあり
Address phone東京市麴町區四番一三
Relative色部義太夫,何禮之,土子金四郞,男爵西紳六郞,北村英一郞
Degree6
Pronounciationあかまつ のりよし
Another name大三郞