六鄕政鑑 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊出羽本莊藩主 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永元年十月三日 (1848) | |
親名・続柄 | 六鄕政殷の長男 | |
家族 | 母 貞壽院 天保元年三月生子爵岡部長職叔母 叔母 清子 天保元年正月生祖父故政恒女 叔母 頌子 天保十四年七月生祖父故政恒女 男 政賢 明治五年二月生 婦 鉦 明治六年六月生政賢妻子爵松井康義妹 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足の孫武智麿の末裔維遠の後なり夫より二十代を經て道行に至羽州山北六鄕庄の地頭となり地名を以て氏となす▲の子政乘德川家康に仕へ元和元年羽州本庄に移封二萬石に加增せらる夫より九代を經て先代從五位下筑前守政殷に至る 君は其長男にして嘉永元年十月三日を以て生る幼名を鑑丸又長五郞と云ひ文久六年其の封を襲ぎ明治元年奧羽諸藩反覆賊に與し逆㷔熾なるに際し君斷然意を決し官軍に屬し各所に奮戰して平定の功あり其の賞として永世一萬石を下賜せられ同十七年子爵を授けらる文久二年從五位下に明治十八年勳四等に同卅年正四位に叙せらる 女賀子(明治十一年五月生)は神奈川縣平民田中新七養子國太郞妻に嫁し 孫政貞(明治卅年五月生長男政賢長男)同𨫍子(同三十四年十月生政賢長女)は家にあり | |
住所・電話番号 | 東京市牛込區白銀町二八 | |
参照人物(親類) | 子爵岡部長職、子爵松井康義 | |
参照次数 | 2 | |
読み | ろくごう まさかね | |
別名 | 鑑丸、長五郞 |