益田孝 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | ||
職業 | 三井物産合名會社專務理事、東京人造肥料株式會社取締役、東京商業會議所特別會員、倉谷鑛山株式會社監査役、東京商工相談會常議員、農商工高等會議幹事、京仁鐵道合資會社代表社員、有馬電氣鐵道株式會社監査役、九州紡績株式會社取締役、下野煉瓦株式會社相談役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 弘化四年十一月十七日 (1847) | |
親名・続柄 | 益田鳳の長男 | |
家族 | 妻 えゐ 嘉永五年一月生東京府人富永冬樹妹 | |
記述部分(略伝) | 君は佐渡の人益田鳳の長男にして弘化四年十一月十七日を以て生る君夙に經濟學を研究して以て商業に志し橫濱に於て商店を開き一敗して仕官造兵權頭に任ぜらる後職を辭し三井家に入り其物産會社々長となり大に海外貿易の事に從ふ自ら海外に趣き倫敦巴里上海等に支店を開き事業の擴張に努め三井今日の隆盛を極むる君の力大に與かる其他商工業の爲めに貢獻する所少なからず現今實業界第一流の人物を以て仰がる現に三井物産合名會社專務理事東京人造肥料株式會社取締役東京商業會議所特別會員倉谷鑛山株式會社監査役東京商工相談會常議員農商工高等會議幹事京仁鐵道合資會社代表社員有馬電氣鐵道株式會社監査役九州紡績株式會社取締役下野煉瓦株式會社相談役たり 妹繁(文久元年九月生)は石川縣士族爪生外吉妻となり男太郞(明治八年九月生)■信世(明治十八年八月生)及母らく(天保二年三月生新潟縣鹿野源右衞門女)は分家せり | |
住所・電話番号 | 東京荏原部北品川宿三六二 電話新橋一一五一 | |
参照人物(親類) | 益田克德、爪生外吉、爪生繁 | |
参照次数 | 3 | |
読み | ますだ たかし | |
別名 |