松前修廣 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊松前館城主 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應元年九月十四日 (1865) | |
親名・続柄 | 松前信廣の子 | |
家族 | 母 てる子 嘉永二年九月生子爵内藤正懿大叔母 妻 藤子 明治二年三月生子爵本多實方妹 男 勝廣 明治二十二年五月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は源經基五代義光の裔爵光の男信政の後なり信政より四世を經て信廣に至る信廣故ありて出奔し上國の城主蠣崎修理太夫に憑り武者奉行となり更めて族を蠣崎と稱す享德年中航して松前に抵り其酋長を殺し城を勝山に築て姓を松前と政む後三世を經て慶廣に至り會會秀吉の天下を討平するに遇ふ天正十八年京師に朝し民部大輔に任ぜられ慶長十一年福山に居城すそれより十一世を經て德廣に 君は其の男なり慶應元年九月十四日を以て生る幼名勝千代又兼廣と稱す明治二年渡島館三萬石の封を襲ぎ官軍先鋒となりて各所に轉戰す同年館藩知事に任じ同十七年子爵を授けらる同二年八月從五位より同三十三年十二月正四位に叙せらる 家族は前記の外男與廣(明治二十六年八月生)同亮廣(同二十五年十月生)同俊廣(同二十七年七月生)同福廣(同三十二年九月生)あり 叔母ます子(文久二年七月生)は子爵井伊直安に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京府豐多摩郡戸塚村大字下戸塚五六八 | |
参照人物(親類) | 子爵内藤正懿、子爵本多實方、子爵井伊直安 | |
参照次数 | 3 | |
読み | まつまえ ながひろ | |
別名 | 勝千代、兼廣 |